ぺろんの日記

スマブラや自分が気になったことについて書いてます。

「空気を読んではいけない」ぺろんの人生の後悔について(部活動編)

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あなたは「人生で後悔してること」はあるだろうか?

 

いや、この質問は愚問だった。
何十年も生きていたら誰しも1つや2つ、後悔はあるだろう。

 

自分はまだ人生経験も極端に少ない未熟な若者だが、

こんな自分にも人生の後悔は存在する。

 

今回はそんなぺろんの、「人生の一番の後悔」について書いていきたいと思う。
是非とも自分の失敗を反面教師にしてもらいたいと思う。




 

 

 

自分の人生における後悔。

一言で言うなら「部活をしていたこと」だ。

 

 

....

 

これだけ聞くと響き的に凄いじょぼい感じに聞こえるが、どうかブラウザバックしないで読んでもらいたい。

 

 

 

 

 

 自分のソフトテニス人生について

 

自分は「ソフトテニス部」として活動していた。自分がソフトテニスを始めたのは、中学生の頃だった。

 

 

「中学生は部活動をするもの!」

中学生に入る前から自分は親にそう諭されてきた。別に親のせいにしたいわけではないが(最終的な判断は自分が下したため)、結果的に親の言葉に何の違和感も抱かず、信じ切っていたのは事実だ。

 

 

部活動をすることに対して何の違和感も抱かず、部活動をすることを決めた。ソフトテニス部に入ろうと思ったのは、父がソフトテニスにかなり寄った人だったからだ。「父がソフトテニスに詳しいから」という曖昧な理由でソフトテニス部に入ることを決めた。

 

 

中学時代の部活動は比較的真面目に努力してたと思う。でもとくに何の結果・実績を残すこともなく、ただただ時間だけが過ぎていって、終わった。

 

 

 

 

高校生になっても自分はソフトテニスを続けた。高校のソフトテニス部は、中学の頃のような「一番上に指導者がいる束縛された環境」ではなく、ある程度生徒の自主性に任せるような、そんな環境だった。

 

部活では頑張ったり、頑張らなかったりした。

 

その頃は頑張らないことを「指導者がいないから!」と理由を付けて、日々の惰性を肯定していた気がする。次第にソフトテニスに対して頑張りを見せることも少なくなっていった。

 

「なぜ部活をしているのか?」

その疑問を考えることも、感じることもなく、ただただ時間だけが過ぎていった。

 

 

 

 

自分の引退試合の話だ。

最終的に自分の番手(部活内での強さの序列)は、一個下の後輩を含めた6ペア中、5番手にまで落ち着いた。自分は一個下の後輩とペアを組んだ。あくまで自分の印象だが、そのペアな子も自分と同じく「真面目な部員」という訳ではなかった。

 

そのペアの子に「先輩引退試合どうしたいんですか?」と聞かれたことがあった。自分は「別に勝てなくてもいい。何となく頑張った感が出てればいいかな?」と言った。何でこんなこと言ったのか、今でもよく分からない。

 

結果はもちろん惨敗。2つ下、他校1年生の即席ペアに何もできずに負けた。ちなみにトナメはシード下のパッキン、予選1回戦にて敗退だった。こうして自分の6年間にも及ぶテニス人生は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

なぜ部活動をしていたのか?

 

上で書いたものは紛れもない、自分の人生における事実だ。

 

↓の記事でも少し書いたが、自分は部活動を引退したあと、自分の人生において、「何が重要で」、「何をするべきなのか」ということを自分なりに深く考えた。そこから色々なことが見えてきたわけだが、その中で最も感じたのは「後悔」だった。

 

www.peronnonikki.com

 

 

 

その後悔は冒頭でも言った通り、「部活をしていた」ということだ。

 

 

そもそも自分はなぜ部活動をしていたのだろうか?

なぜ高校生にもなっても、ソフトテニスをしていたのだろうか?

 

 

 

 

この理由付けとして一番しっくりくる、明確な理由は、

「なんとなく」だ。

 

親が言うから何となく始めた、周りの人がやってるから何となく始めた、みんな部活を続けているから何となく続けた...ect

 

自分は学生時代の大切な「6年間」という時間を、この「なんとなく」のために費やしたのだ。これを書いている今も後悔の念が自分の中で渦巻いている。

 

 

 

 

自分はこの6年間の部活動において何か得るものはあったのだろうか?

もし得るものがあったのならまだ救われるが、それが何もないのだ。

 

「今後の人生に役立つ学び」なんてものは何もなかったし、部活動によって何かしらの交友関係が生まれるなんてことも無かった。部活動自体からは本当に何も得ていない。

 

 

部活が特別楽しかったわけでもなかった。

もちろん部活が楽しい!と感じる瞬間もあったと思うが、部活に対しては、当時からネガティブなイメージが強かった。やはりそれは「なんとなく」で部活をしていたからであって、「ソフトテニスが大好き!」という訳ではなかったからだと思う。

 

 

これらから言えることはただ1つ、

部活動は自分の人生において明らかに無駄であった。

 

 

 

 

 

 

そこから見えてくるもの

 

部活動をしていたという失態は上で言った通り「なんとなく」が主な原因な訳だが、「なぜ何となくで過ごしてしまったのか?」という部分まで紐解いていくと、見えてくる学びが2つある。

 

 

 

1つ目は「思考停止してはいけない」ということ。

 

自分は部活動を引退してから自分について深く考えた結果、「部活動は自分の人生において明らかに無駄」ということに気づくことができた。部活動をやってるときはそのような発送は微塵も生まれて来なかった。明らかに思考停止していた。

 

もし部活動をやってるときに、ここまで考えを巡らせることができれば、自分の人生は変わっていたと思う。考えないで生きることは、結果的に多くの損失を被ることを意味していると自分は学んだ。

 

 

 

 

2つ目は「空気を読んではいけない」ということ。

 

これは1つ目の学びと少し類似しているが、明らかにそうだ。なぜ空気を読んではいけないのか?  それは幸せに普遍的なものはないからだ。

 

当たり前だが、自分にとっての「幸せ」と、あなたにとっての「幸せ」はかなり意味合いが違ってくる。それは人によって好みが違うからだ。スマブラが好きな人がいれば、嫌いな人もいるだろう。

 

自分の両親は「中学生は部活動をするもの!」と言っていたが、これは明らかに間違っている。多くの中学生は部活動をすることによって、充実感というか、幸福感を得ることができるのかもしれないが、これが万人に当てはまるわけではない。例えば、自分のようなテレビゲームが大好きな中学生が、部活動に入ったところで何の幸福感も得られないだろう。

(テレビゲームするぐらいなら、部活したほうがえんじゃね?的な議論はここでは一旦置いときます)

 

 

しかし多くの人はそのようなことは考えず、世間的な一般常識を作りだし、それに乗っかろうとする。要するに、空気を読もうとするのだ。かく言う自分も、中学、高校時代においては空気を読もうとしていた。そこに何の意味があるのだろうか?

 

このように空気を読む能力なんて何の価値もない。結果やってることは多い方を選んで安心しているだけだ。空気を読むより、自分自身のために時間を使うことのほうが遙かに重要だ。

 

タイトルの「空気を読んではいけない」はそのような意味を込めてつけた。しっかり自分の頭で考えて、判断することが重要なのだと思う。

 

 

 

 

 

終わりに

 

今回は自分の人生の後悔について書いてみた。いかがだっただろうか?

 

よく「過去は変えられないが、未来は変えられる」という言葉を耳にする。

 

キングコングこと、西野亮廣さんはこれとは真逆、

「この瞬間に未来を変えることはできないけど、過去を変えることはできる」と発言している。

 

  最後は西野亮廣さんの著書「魔法のコンパス」の一節で締めくくろうと思う。

 

 

 

失敗も、痛みも、挫折も、流した涙も、

いづれは必ず過去になる。

そして、そのとき僕らは、過去を変えることができる。

失敗したところで終わるから、「失敗」が存在するんだ。

何度失敗しようが、

その度に工夫し、

ネガティブな過去をポジティブなものへと変換し、

成功するまで続ければ、

それらの失敗は全て、成功のための必要な部品となる。

失敗なんて存在しない。

失敗を存在させているのは、いつだって自分自身だ。