ぺろんの日記

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【スマホゲームは時間の無駄?】 時間を無駄にしないための第一歩は時間の定義である

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人生で一番大事なものは何だろうか?

 

多くの人はこの問いに対して「時間」と答えるだろう。
 

 

「人は、生まれ、ほんの一瞬生き、そして死ぬんだ。ずっとそうだ。」


あのアップルの創業者、スティーブ・ジョブズは時間についてこのような名言を残している。この言葉からは「時間がいかに大切か」ということが感じ取れる。


人にもよると思うが、人間に取って時間はかけがえのない大切なものだろう。

 

 

 

「時間はかけがえのない大切なもの」


この事実は変わらない。しかし自分は多くの人が、時間の希少性を理解しているにもかかわらず、多くの時間を浪費しているように見える。

 

 

皆時間を持て余しているのだ。


時間を無駄にしてはいけない。それは分かっている。だが「実際に何に時間を使えばいいか?」という具体的な話になったときに分からなくなってしまう。要するに時間を何に使っていいのかが分からないのだろう。だから目先の快楽だけを追求して、スマホゲームなどに興じてしまう。

 

 

上ではスマホゲームを少しディスってしまったが、かく言う自分もつい1年ほど前までは皆と同じようにスマホゲームに多くの時間を費やしていた。今はやってないが。

 


別にスマホゲームをやることが悪いと言うつもりはさらさらない。重要なのは定義だ。

 


「スマホゲーム何かやってないの?」と最近よく聞かれるので、今回は時間の定義について、スマホゲームを例として絡めながら書きたいと思う。

 

 

 

 


時間を無駄にしないための第一歩は「定義」である


冒頭では「定義が重要」だと言ったが、これは具体的にどういうことなのだろうか? 


これは単純にそのままだ。

自分にとっての、「有益な時間」と「無駄な時間」をハッキリ定義するということだ。まずこの定義がハッキリしてないと、そもそも時間の無駄・無駄じゃないの議論ができない。まあ当たり前だが。

 

 

冒頭の「スマホゲーム」を例にとって考えてみよう。

「時間の定義」におけるスマホゲームを考えてみると、スマホゲームをしている人には3種類の人がいる。
 

 


①スマホゲームを有益な時間と定義している人


これはスマホゲームをしても時間の無駄にならないパターンだ。スマホゲームをすること自体が生産性を生んでいたり、将来の自分の目標に繋がってたりする。

 

例えば、全盛期のマックスむらいさんなどはいい例だろう。マックスむらいとは、当時大人気だったスマホゲーム「パズドラ」のプレイ動画をYouTubeにアップすることで、子供を中心に大人気を博したYouTuberだ。

 

この頃のマックスむらいさんは、パズドラをプレイするだけである程度の収益を挙げることができた。この場合、パズドラをプレイする=生産性がある行動と、捉えることができるだろう。

 


他にも、スマホゲームに自分の夢(将来の目標)を含んでいる場合や、モチベ管理の一貫としてプレイしている場合も含まれる。シャドバで世界一になることが自分の夢だったり、あくまで自分の目標を第一に考えた上で、息抜きとして計画的にスマホゲームに興じるのであれば、有益な時間と捉えていいだろう。

 

 

 

 

②スマホゲームの時間は無駄だと分かっているが、スマホゲームをやってしまう人


これは時間を無駄にしているということに変わりはないが救いがある。単純に意志の弱さが問題であって、「時間の定義」自体はハッキりしているからだ。「時間を無駄にしている」という自覚があるし、同時に後悔の念も感じられる。

 

普通の人間なら後悔しているという時点で、「二度と同じ過ちを繰り返してはいけない!」と考え、何かしらの対策を立てるはずだ。この時点で前に進んでいるし、次に紹介する③よりはよっぽどいい。

 

 

 

 

③暇つぶしに何となくスマホゲームをしている人


問題なのはこの③のパターンだ。実際スマホゲームに興じているほとんどの人はこのパターン③に含まれるだろうう。

 

暇つぶしのスマホゲームにおいて、時間の定義もクソもない。なぜなら、ただ暇だからやっているに過ぎないから。上の①②は「頑張って時間を作り出して有効活用する」という考えが根底にあるのに対し、③は「暇な時間を頑張って潰す」という考えが根底にある。そもそも根底が違うのだから、ここで生じる生産性の差は歴然だ。

 

③における一番の問題は、「自覚症状がほとんどなく、危機感がまるで感じられない」ということ。これでは外部から何かしらのアクションがかからない限り、一生スマホゲームなどの何の生産性もない行動に時間を浪費することになるだろう。

 

 

 


ただちゃんと考えがある上でのパターン③の選択ならアリだと自分は思う。
 
自分の友人にこの話をしたときのことである。


「自分は無駄なことは考えず、目先の幸福(楽しさ)ひたすらにありつくのが一番の幸せなのだ。あくまで考えあっての行動だから、別に今の自分の行動が悪いと思ったことはない。」

 

このようなことを自分は言われた。そこで自分は、

「でもこのままだと仕事をすることになる。それだと目先にあるのは幸福ではなく基本的には苦しいことだ。今の快楽だけを追求する行為は合理的ではないと思う」
このように言った。

 


すると友人は、
「自分は社会人としての面子を大事にしてるから、そもそも社会人として働くのは憂鬱ではないと思う。」

このように言った。

 


これらの会話の真意は分からないが、もし友人が本当に上のように思ってるのであれば、パターン③を選んだとしても、別に問題ではない。理にかなってるしね。

 

 

結局最終的な判断基準は、そこに意味があるのかどうか、そして考えがあるのかどうかというところになって来るだろう。ただ考えもなく、何となく暇つぶしでスマホゲームをしている人がほとんどだというのは言うまでもない。

 

 

 

 

これは自分の大学でも顕著に現れた。

自分は「社会論」という授業を受けているのだが、その授業の一環で、在学生にスマホの用途について尋ねるアンケートが実施された。

 

結果としてほとんどの生徒が「暇つぶし」と解答した。多くの人間は、時間を持て余し、そしてその時間を「暇つぶし」のためだけに浪費する。ここにどれだけの意味があるだろうか? 否、これはただの時間の浪費にすぎない。

 


多くの人間はまず「自分は何がしたいのか」を考え、それをもとに、どのようなことが時間の無駄で、どのような時間が有益な時間なのかを定義しなくてはならない。そうしないといつまで経っても時間を浪費することになる。

 

 

 

 

『みんなあまりに考えないで生きている。それは恐ろしいことだ。考えないでいないことにすら気づいていない。何も見ようとせずに生活しているし、苦しいことから目を背けようとしている。』

 

これは弁護士であり、議員でもある丸山和也氏の言葉だ。まさに今回話した内容を模したような言葉となっている。

 

今回は時間を定義することの大切さを、スマホゲームの例を絡めながら説明した。

しかし肝心の「定義のやり方」については説明してないし、

 

「お前、スマブラで散々時間無駄にしとるやん!」

という声が聞こえてきそうだが、それはまた次の記事で書こうと思う。

 

 

 

今回は前提的な話、またちょっと難しい内容だったかもしれないので、疑問点・意見等あればコメント欄にお願いしますm(_ _)m

 

では今回はこの辺で。

それではまた!