ぺろんの日記

スマブラや自分が気になったことについて書いてます。

本当の意味での合理性ってなんや? 

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こんにちは!

 

今回は前回の「考え方」に関する記事で、

「自分ルールって考え方って疲れそう...  ルールに縛られててきつそう...」

 

という疑問が自分で読んでて湧いてきそうだったので、

今回はその考え方に類似した記事を書こうと思います。ということで、「自分が思う本当の意味での合理性」について書きたいと思います。

(前回の考え方記事を読んでない方は是非読んでみてください)

 

www.peronnonikki.com

 

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※今回は主観的な内容です。

 

 

まず自分にはこれに関するある経験談があります。

自分が高校生だったころの話です。自分は高校生の頃から(当たり前といえばそうですが)物事を合理的に考えていました。

 

また自分はおしゃべりというのもあって、自分の仲の良い友達に、

「どうすれば時間を無駄にしないか」

みたいな類いの話をよくしていました。

 

そのとき決まって言われたのが、

「そういう効率厨みたいな考え方よくできるなw 疲れないの?」

です。これに関する回答が今回の記事の結論、

「本当の意味での合理性」に繋がります。

 

 

まず、

  • 合理性ばかりを追求して疲れないのか?
  • ルールに縛られた生活は疲れないのか?

に関しての回答(結論)は、疲れることはないです。

 

確かに合理性ばかりを追求していると疲れます。これは確実だと思っていて、自分にもそういう経験はありました。

ただ、ただの合理性の追求と本当の意味での合理性の追求は違います。

本当の意味での合理性の追求をしたならば、まず疲れることはないです。

 

 

 

では本当の意味での合理性の追求とは何なのか?

 

例を使って説明します。

ある受験生がいたとします。受験生なので勉強時間を稼がなければなりません。合理性だけを考えるとすると、自分が使える時間をどれだけ勉強に回せるか?という点だけで考えると思います。ですがそれではほとんどの場合上手くいきません。何故かというと、自分の感情(ストレス)というのを計算に入れてないからです。人間は感情で動く生き物です。ロボットではありません。なのでいくら自分が合理性だけを追及して、「勉強するぞ!」と意気込んでも上手くいくはずがないのです。

 

じゃあどうすればいいか?

自分の感情をあえて肯定してあげればいいと思います。要するに、自分の感情を計算に入れるということ。上の例でいうと、

「自分ができるだけストレスが少なく勉強するにはどうすればいいか?」ということを考えるということです。

 

上でも言いましたが、確かにただの合理性の追及は疲れます。しかし真の合理性の追及をすれば疲れることなく、合理性を追及することができるのです。

なぜなら、合理性の追及により自分が感じるストレスさえも計算に入れてしまうからです。

 

そもそも日本は「タイムマネジメント」のように物事(仕事)を時間で区切るというような考え方が浸透していますが、それは間違いです。

ストレスマネジメントと生産物の方がはるかに重要であって、労働時間で区切っても何の意味もないと思います。

 

 

 

いかがだったでしょうか?

今回も当たり前体操が始まってしまいそうな記事でしたが、少しでも新たな発見があったのなら幸いです。

 

では今日はこの辺で。

それではまた!